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心は不可得である

仏教と密教

あらゆるものは不可得、
というのが仏教の立場です。
不可得とは、認識することはできない、
ということ。それは空・無自性だから。

心は不可得、認識するとはできない、実体は無いから。
密教では、ちょっと違って、認識を超越している、
という感じがあります。

『大日経』住心品12には、
「心は内に在らず、外に在らず、及び両中間にも心は不可得なり」
とあります。
心というものは、
内である眼、耳、鼻、舌、身、意にもなく、
外にあるモノ、声、香、味、触、法にもなく、
内外の中間にも、心は認められない。

これについて『大日経疏』巻第一には、
大なる悟りの智慧は、はかり知れない門戸によって、
あらゆる存在するところのものの、ありのままの姿に入る

心は内にも外にも生起することなく、
かたちのないものであって、
その存在する場所というものがない。

つまり、
(悟りの)心は五感やその対象から超越しており、
瞬間的な思考の流れが連続して生じたり滅したりしている脳内の心とは別に、
それを超越した、生じたり滅したりしない「ありのまま」の心が
想定できます。
おそらく、そこは寂静で苦も楽もなく、ただあるだけ。

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