昔のブログ

私のようなもの

仏教と密教

日々迷い苦しみを自分で作り、
その解決法も自分で考える。
最初から、迷わなければ良いのに、
そうはいかないのは、
心が自由で放し飼いにされているから。

病気を自分で作り、
その治しかたも自分で作るようなもの。
そこに苦楽があります。

それはさておき、

見える心(臓)を蓮華の形に観想して、
その背後にある見えない心を想います。
蓮華が泥に染まらないように、
僕らの心も、
迷いの垢にそまらないから。

その心には仏性があり、
本来仏であるのだから、
実際にある心(臓)を観じれば、仏身が見えます。
そこに菩提心があります。

その菩提心は、
「満月の円明なる当体が全く菩提心のそれに類似する」
(『菩提心論』)
とあるように、満月のようなもの。

さらに、
『金剛頂経』では、
自分が本性において、
仏の五智を象徴する金剛杵と同じであることを、
体験します。

五智=大日=金剛杵
自分はそれのようなもの、
ということ。
そして、
それは私のようなもの。

そうしてわかるのは、
宇宙があるように、
月があるように、
蓮華が咲くように、
金剛杵が固いように
あなたがいるように、
大日如来があるように、
私がいます。

令和3年 新年祈祷(1月18日)・年間祈祷

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