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密教瞑想法私記4・正念誦

仏教と密教

有相の口密
念誦は法身の説法であり、
説法は、他人を教化すること。
ですから、
真言の正しい発音と意味を知らなければ、
説法になりません。

念珠を旋転することについて、
Oṃ vajra guhya jāpa samaye hūṃ
  金剛 秘密 念珠 三昧耶
『秘蔵記』46に
「念珠を始めて三遍引き越す所以は、
 真言の菩薩、あるいは十六三昧
 一一次第に等証し、
 あるいは一の三昧を得ると共に、
 十六同時に証す。
 念誦を引き越すはこれ十六頓証の義なり」

念誦について、
『大日経疏』11には、
「本尊の真言を念誦せよ
 一千八十遍或いは一百八遍せよ
 観想せよ
 我が誦する真言の字は、
 本尊の臍輪より入って心月輪の上に至って、
 右に旋て列なり住す
 本尊の誦したまう真言の字は、
 我が頂より入って心月輪の上に至って
 右に旋て列なり住す
 循環旋転して絶えざること輪の如し
 其の字乳色なり
 或いは想え
 我れ今誦ずる所の一一の文字
 吾が口より出でて、
 金色の仏と成って虚空に羅列して
 大光明を放って法界に周遍す。
 三界六趣の一切有情、
 斯の光明に遇うて離苦得楽し転迷開悟すと。
 我れも亦光明に照らされて、
 煩悩を転じて菩提と成る。
 是の如く了了に観想せよ」

基本的に、
真言念誦は三洛叉(30万遍)がワンセット。
日々の所作では
時間があれば1080遍
無ければ108遍乃至21遍乃至7遍とします。

唱えるときの散心について、
『秘蔵記』56に
「念誦の時若し散心有らば、
 出入の息を観じて一法界をなして、
 我が身及び本尊を此の一法界に摂し、
 又一切の諸法を此の一法界に摂す。
 然して後念誦せよ」
とあります。

自分の口から出た真言で、
堂内(部屋中)が満たされます。
香雲のように。

一一の真言が光であり、
光の境目など無くなり、
仏光、慧光に包まれます。

真言(仏)に包まれる。
それには、
戒や定や智慧の香りがあり、
自身に染み付きます。

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