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私とは何か

仏教と密教

『菩提心論』や『三昧耶戒序』にある勝義(心)は、
存在とは何か、を知ることです。
それは求めるべき最勝の智慧。

事実ではない、
ただ自分が思ったり感じたりした意見や感想にすぎないこと、
つまり妄想が繰り広げられることによって、
限りない欲望が引き起こされます。
それによって、
愚かさの迷いの中に生きることになる。

でも、
事実によって目覚めれば、
妄想が引き起こしている愚かさの迷いは消えます。
もともと、妄想に本性がないからです。

人それぞれにある迷いに応じて、
さまざまな宗教があります。
それは、
病に応じて薬を処方するように、
愚者を救済します。
迷いがなくなれば、
教えは不要になり、捨て去られます。
教えにも、本性がないからです。

『大日経』住心品には、

 「もろもろの存在に、
 その本性(固定的永遠唯一独立した姿)はない。
 虚空のような姿である」
と説かれています。

そして、

一切は縁と条件によって生じたものなので、
本より空です。
モノは定め無きもので空である、と悟れば、
その悟る心も自ら静まり、
すべては平等であり、
これが身体であり、これが心である、
という区別もありません。
大空の三昧(心の安からさ)の中に入り、
自他の区別がない、
静けさの真実の智慧に住して、
なまけ退く心も、なくなります。

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