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本覚と仏性

仏教と密教

『菩提心論』の始まりに、

「もし上根上智の人ありて、
 外道や二乗の法をねがわず、
 あらゆる優れた教えを受け入れる大度量あつて
 勇鋭にして惑うことのない、
 かかるものは、
 初めてこの秘密仏乗を修すべきである」
とあります。

上根上智じょうこんじょうちとは,、優れた人のことではなく、
一切の人のことであり、「私」の事。
なぜなら、
密教の立場は、
一切の人は本来清浄で万徳を具えているという
本覚思想(修行して覚るのではなく、もともとすでに覚っている)だから。
この、
悟りの側からの本覚を、
迷いの側からは、仏性ぶっしょう と云います。
僕らが持つ仏としての本質、
仏になるための原因、
ブッダになる可能性。

この仏性が誰にでもあるから、
みんなブッダになれます。

この仏性を探して発揮すれば、
迷い煩悩の身体そのままで、
成仏できる。

これが大乗仏教の目的、
自分の目が覚めること、
心が目覚めること。

本覚の場合、
俗を否定して修行し、
最後に聖なる悟りに至るのではなく、
自分自身の中に、
そのまま聖なるものを見つけます。

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