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災いの原因

仏教と密教

『性霊集』第六
「天長皇帝、大極殿に於て百僧を屈してあまごいする願文」には、
「三綱ゆるび乱れて五常すたれ絶ゆるときは、
 旱撈飢饉し邦国荒涼せり。
 国十善を行い、人五戒を修すれば、
 五穀豊穣し万民豊楽なり」

(道徳が衰退し、人民が乱れる時には、
 自然災害が起き、国は荒廃する。
 人民が道徳を守るときには、
 五穀豊穣し万民豊楽なり)
とあります。

『秘蔵宝鑰』十四問答には、
「多くの僧尼を見るに、頭髪を剃っても欲を剃らず、
 衣を墨染にしても心を善法に染めることを知らない。
 いましめ 精神統一 真実を観る眼
 の三学を修めるものは極めて少なく、
 非法濫行のものは頗る多い。
 日夜に営々として、あるいは頭を臣妾のはきものに叩いてそれにへつらい、
 あるいは僕婕めしつかいにまで歓心をかわんとして朝夕に苞苴わいろを事としている。

 釈尊の遺風はそのために衰微し、
 仏道はこれによりて頽廃するのである。
 かの旱魃や洪水がしきりに起こり、
 疫病が年ごとに流行し、
 天下が乱れ、公私が塗炭に苦しむのも、
 みなこれ僧尼の非法濫行によるものといわねばならぬ」

これに対する答えは、
「麒麟は優れた動物であり、
 如意宝珠や金剛石は金石の代表である。
 しかし、それらを見ることは不可能に近い。
 達人がまれだからといって
 聖賢の道や芸道などを捨てるべきではない。
 仏法に真人が少ないからといって、
 これを断絶するいわれはない」

「疫病や洪水等はただ僧尼の非法によると思うのはまちがっている。
 仏教がまだ伝来していない、
 つまり僧尼のいなかった時代の災いは、
 それでは説明できない」

「すべて災禍の起るのには、略して三種の原因がある。
一には時運、二には天罰、三には業感である」

時の運とは、
陽九百六と云う、106年に9回起る厄年のこと。

天の罰とは、
国王の指令が、理法に背くために天が下した罰。
これは、国王の責任であり、
『十住心論』第二に、
「煩悩に執着し悪業を行う凡夫の国王が、
 正しい教えである仏法を遠ざければ
 護国の神々に見放されて、
 国土に飢饉、疾病、種々の災難が起こる」
とあります。

業感とは、
衆生の悪業の報いとして起こる災禍。

さらに、
「大山・深海・大地・大虚空は無量の生命をつつみいれている。
 如来の弟子にも非法の比丘もあった。
 しかし、
 如来は善悪賢愚をみること一子をみるが如くであった。
 僧尼の中に非法の者のあるのは物の道理というべきである」

それでいいのだろうか。

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