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無我と大我

仏教と密教

世界は、
いろいろな考えの人が、
なるべく仲良くしようと生きています。

その中で、
自分の心と自分以外の心がつながる、
連帯する、
ひとつになる、
そういう時、
自我の仕切りが低くなり、無くなります。
つまり、
無我になる。
共存という原理が無我、
と考えられます。

無我を日英佛教語辞典で引くと、
「that there is no permanent self in a living being is a basic teaching of the buddha」

仏教の基本a basic teaching of the buddhaは、
・諸行無常
すべての形作られたもの(諸行)は無常である
(あらゆるものは変化する)
・諸法無我
すべての事物(法)は無我である
(あらゆるものに孤立的な実体はない)

無我は、
仏教が他の宗教と違う最大のポイント。

三井英光先生は、諸法無我を、
「この世にあるものひとりあらず」
己をむなしゅうして、
一切を抱擁する心
と書いています。(『密教の安心』)

『吽字義』摩字の実義に、
「一切世間は我我を計すといえども、未だ実義を証せず。
 ただ大日如来のみいまして、無我の中に大我を得たまえり」
とあり、
栂尾先生は、
「はからいの小我を越えた無我のなかにおいて、
 大我(まことのわれ)をにみつけられている」
と訳しています。

同じ吽字義に、
「法身の三密は繊介に入れども、せばからず、
 大虚にわたれどもひろからず」
(真理は小は一塵のなかに、
 大は宇宙に遍満して、
 いかなるところにも偏在している)
とありますが、

もし、すべてが空であり、
自他(凡人と仏)の仕切りがなくなる体験をすれば、
凡人の自我(小我)は仏の大我になるかな。

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