昔のブログ

自分が関心をもったすべての塵

仏教と密教

エゴマの花が咲き始めました。

『般若心経』にも登場する、
色声香味触法(しきしょうこうみそくほう)を六塵と云います。
心を染め汚すものだから塵という。

感覚器官、もしくはそれを刺激するものですね。
視覚と視覚刺激、聴覚と聴覚刺激・・・。

見えるものには、色形動きがありますが、
それは見る、見えるだけ。それが色塵。
何か音が聞こえたら、それが声塵。

その中で、
見えたそれがネコだと判断するもの
聞こえたその音が鳥の声と判断するものが法塵。

法はサンスクリット語のダルマ( dharma)の訳で、
意味は、保持するもの。
多くは、真理を指します。

法塵の法は、
思考の対象、自分が関心をもった全ての物
のこと。

見たものと見られたもの、
聞こえたものと聞かれたもの、
思ったものと思われたもの、
この感覚と本体の関係は真実である、
というのが達人の立場。

なぜかといえば、
感覚として受け取るものは、すべて如来の説法だから。
凡人(の時)には心を汚す塵(迷い・煩悩)だけれど、
達人(の時)になれば説法。

☆ofuse(お賽銭)箱

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