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『念持真言理観啓白文』を読む 4

帝釈天の宮殿にある網の目のひとつひとつが宝石であり、
それが互いに照らし合っているように、
念じる清らかな心の中も、そのように多くの仏が溶け合っています。

一瞬一瞬の深い信心は宝石のようであると、十方の諸仏が証明します。

自心の曼荼羅は悟りの世界であり、
その性質も姿も常住です。

自分の本性は本からの悟りと、修行してからの悟りがあり、
心の道場を観想すれば、如来の身体を見て、
身体の曼荼羅を念ずれば、如来に遇います。

衆生は迷うために、多くの衆生となり、
諸仏は悟っているために、会して一仏となります。

多くの真言は一心につらなり、
多くの曼荼羅は一身に着き、
常に観想と智慧の修法道場となります。

自心の曼荼羅は、宇宙全体に広がり満ちて、
性質も姿も常住で、虚空のようです。

自分の心内道場は帝釈天の宝石のようであり、
あらゆる仏がそこにいます。
自分も諸仏の前に現れ、帰命して礼拝し、
拝む、拝まれるが溶け合い、障りがありません。

真言を唱えることによって、
仏と自分と衆生が差別なく、すべてを包む、ひとつになった心は、
法身如来のありのままの本性であり、
本よりの悟りと、それを求める心です。

それは、生の根源であり、悟りの都です。

如来の悟りを示す真言は、
思議を越えたものであり、
これを観想し持誦すれば、
愚かさの迷いを除くことができます。
その真言の一字一字に無量の意味を含み、
それによって肉身のままに覚ることができます。

唱えることで心の静けさに至り、
悟りの根本に入ります。
迷っている人々は、あたかも旅の宿の客のようなもの
その衆生にある、仏、自分、衆生が差別なく包まれた一心こそ
智慧の本心であり、本来の住居です。

一念浄心 宛如帝網 両部界会 何不影向 一刹深信
猶如珠玉 十方諸仏 何不証明 自心曼荼 有仏無仏
性相常住 我性教法 有点無點 文理宛然 観心道場
則見大覚 如来之身 念身曼荼 則遇常住 世尊之像
衆生迷故 成多衆生 諸仏覚故 会成一仏 百千真言
即列一心 恒沙曼荼 即布一身 在行在坐 観智不離
有眠有覚 道場即変
我此道場如帝網 十方諸仏影現中 我身影現諸仏前
頭面接足帰命礼 能礼所礼性空寂 感応道交難思議
真言不思議 観誦無明除 一字含千理 即身証法如
行行至円寂 去去入原初 三界如客舎 一心是本居

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