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密教、仏教、精進料理、望診法の

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それではないものを考える

仏教と密教

例えば、
見ない
聞かない
嗅がない
食べない
触れない

もしくはそれらに関心・執着を持たない。

すると、
思いが止み、
計らいや意識が休憩し、
自我が無くなるかな。

深層心理の深いところ、
いちばん底のDVDみたいなものだけになります。

そこには何でもある。

その時、
何も無くなるのではなく、
境目が無くなります。
例えば、
仏と自分の。

境界線が無くなれば、それはない。
残ったものが実相。

分別がなくなり
みなひとつになる。

時間や空間のイメージもない。

本来あるがままの姿、
生じたり滅したりするものではないものかな。

現れているものではなく、
本体を観ます。

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