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煩悩の中に自由を得る

仏教と密教

拝んでいる時に、
集中できない、もやもやする、
というのはよくあることです。

『秘蔵記』56には、
「念誦の時、もし散心あらば、出入の息を観じて、一法界をなして、
 我身及び本尊をこの一法界に摂し、
 また一切の諸法をこの一法界に摂す。
 しかる後、念誦せよ」

『菩提心論』には、
「妄心、もし起らば、知りて随うこと勿れ。
 妄もし息む時は、心源空寂なり」
とあります。

散心、妄心は煩悩であり、それは、
自他に執着することと、自他を差別することです。
とらわれない、何でもOK、みんな同じなら、煩悩は無い。

でも、
執着と差別があっても、その裏側には、
無執着と無差別平等があり、
それは煩悩を母体として生まれたもの。

事実と事実でないものを見極める、
無いものは無い、
有るものは有る、
宇宙はそういうものであり、
そう見るだけにすれば、
迷い煩悩の中に、自由な心が得られます。

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