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成仏までの流れ

仏教と密教

まず基本、
万物の本体は、地・水・火・風・空・識の六大。
これは、
地=固い物、大地みたいなもの、固体、拠り所など、
水=流れるもの、海みたいなもの、液体、潤い、生命を育むなど、
その見た目、性質、働きなどでとらえます。

万物の姿は、
イメージ(顔形など眼に見えるもの)
シンボル(連想するもの)
文字(名前、文書)
動き(毎日の暮らし)
の四種の曼荼羅として現れています。

その曼荼羅世界にいる僕ら個々の働きは、
身体、言葉、心から生じていて、
それを三密(身密おこない・口密ことば・意密おもい)と云います。

この三密を駆使し、
合掌したり、真言を唱え、空の世界を観想すれば、成仏(ブッダに成る)します

覚鑁さんの『末代真言行者用心』には、
「いかなる心を発す者、必ず悉地を成就するや。いわく、深信ある者、よく悉地を得。
 いかなるを深信といふ。
 いわく、久々に修行して法験を得ずと雖も、疑慮を生ぜず、退心を生ぜざるなり。
 此くの如く人必定して悉地を成就す。・・・・
 暫く不成に似たりと雖も、冥によく成就すれども、自ら知らざるが故に。」
とあります。
悉地は成就、悟りの意味。
拝んでも何も変わらない、お蔭ご利益が得られない、と思ってはいけない、
それは自分が気づいていないだけだから、拝み続けなさい、
ということ。

密教の成仏(悟り)は、
三密行(秘密の行い、秘密の言葉、秘密の想い)によって、
本不生(生じないというありかた)を悟ることです。
自分、世界、心、全てがなぜ、どのように存在しているか、
ということ。
それがわかれば、
たとえば、悩み苦しみ迷いがあっても、
それが本不生であると分かれば、苦悩は消えます。

本不生は『秘蔵記』96に、
「本不生際というは、心は虚空のごとくにして不生不滅なり。
 この本不生は不可得なり。あびらうんけん なり」
あびらうんけんは、
a vi ra hūṃ khaṃ(地 水 火 風 空)のこと、
大日如来のこと、
法界(宇宙)のこと。

『五字略頌』に
「我はすなわち、あびらうんけん
 次の如く腰と臍と心と額と頂なり
 (a vi ra hūṃ khaṃをそこに観想すること。
  そうすると)
 如如一体なれども雑乱せず
 高下大小もとより不二なり、彼此横竪輪具足せり」

つまり、すべてが具足して生きているということは、
宇宙=仏=悟り=自性清浄心=虚空の真如である、と
五字の瞑想によって、自身の中に体験します。

さらに、『秘蔵記』66には、
「五字の観において不可得を観ずるその意いかん。
 これは遣迷の義なり。至極の義にはあらず。
 円明を観ずるこれ至極の義なり」

「まさに念誦に就かんとする時の三平等観」には、
「先づ五大を身中に観ずること五字厳身のごとし。
 いわゆるわれは遍法界の身なり。諸仏もまた遍法界の身なり。
 わが身をもって諸仏の身に入るとは、われ諸仏に帰命するなり。
 諸仏の身をもってわが身に入るとは諸仏われを摂護したもう、以下云々」

とあります。

自分の中に宇宙(悟り)の本体があり、
自分は悟りの世界で暮らしており、
自分は悟りの働きをしている、
という体験です。
そこは広々として明るい。
闇が無く、仕切りが無い。

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