お米を洗いながら、
お米を拝みます。
もし、
お米がこぼれたら、
ひと粒づつ拾い集めて拝みます。
ザルにあげてお釜にセットして、
しばらくしてから炊く。
茶道では、
お茶一杯に深々と頭を下げますが、
何にでも頭を下げるのは意外と気分が良いものです。
心にはいくつか種類があります。
仏像の眉間にある白毫からは、
全世界を照らす光が放たれますが、そこにある心。
これは大脳にある心ですから死ねば無くなります。
お腹のおヘソの近く、丹田にあるのがもうひとつの心。
これは内臓には関係なく、心の種子。遺伝子とも気や波動とも言える。
変化して、続いています。
もうひとつの心は、
まったくの自由で野良犬のようなものです。
それは一粒の塵でもあり、
広大な宇宙でもあり、
私の中にあり、
あらゆる存在の中にもあります。
お米一粒にも心があり、
それは自分の心でもあるから、
そして心は仏でもあるから、
だからお米を拝みます。
お米を拝めば、
合掌して何にでも礼拝できます。


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