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耳 法塵

仏教と密教

出かけると、こっそり耳を観ます。
髪で隠れている人も多いけれど、
見える範囲でもいろいろな耳がある。

大きい小さい
堅そう、柔らかそう
位置が高い、低い
タブが大きい、小さい
色が明るい、暗い
広がっている、寝そべっている
かわいい、かっこいい
ピアスとイヤリング

耳は腎臓の様子が現れます。
腎臓は勇気と関係があります。

以前は他人の耳を勝手に見て、
ああだこうだと思っていたものですが、
最近ではどこの誰の耳を観ても、
懐かしいような気持ちになります。

ああ、あの人の耳に似ている。
もう三回忌になるなあ。

どんな耳の人でも、
生きてさえいてくれたら嬉しい。

お大師さんは『声字実相義』の中で

森羅万象を構成している地・水・火・風・空の五大には、みな響きがある。

天界も地獄もあらゆる世界は言葉をもっている。

視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・意識という六種の認識対象(六塵)は、ことごとく文字である。

さとりの当体とは、この世界のあるがままの姿である。

と言っています。

僕らが言葉を発すれば空気が動くように、
大自然の中では何かが動いて声となっています。

お大師さんが言う声字は、
僕らの言葉だけではなく、
あらゆるものの響きそのものを声字としています。
そしてそれが仏のサインであると。
見るもの、嗅ぐもの、食べるもの、触れるもの、感じるもの、
みな同じサイン。

あらゆるものは響きを伴っています。
そうでなければその名前も意味も生じません。

あらゆる音が聞こえます。
これは僕の耳が刺激されているだけ

でも、その声を、
「あなたの声だ」と判断するのが法塵といって、
意識の奥にある僕が全身で感じる世界。

耳や口や鼻だけではない世界。

それが「あなたの声」

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