田中先生は『随想』の中で、
「共に助かる道」と題し、
親の在りかたを応用し、
横にそれを延長し続けることで、
世の中の人みなが助かる、
と書いている。
虚心に自分を見、子どもを見れば、
彼らの持つ長所は必ずしも自分の中にないが、
彼らの短所欠点は必ず私の中にある。
こういうことがはっきりしてくると、
もはや子どもをせめる気にはなれず、
ただ、おのれをいましめて一切をせおう心になってくる。
無慈悲にこどもをさばいている場合よりも、
ずっと心安らかである。
こういう「親の在り方」を世間に対しても広げるということ。
シャルル・ペギーにこんな詩がある。
子どもをもつのは、
なんと誇らしいことであろうか。
子どもが食事をするのをながめ、
子どもが大きくなるのをながめることは。
また、夜、
子どもが天使のようにねむるさまをながめることは。
子どもは何にも知らない、
と人々は思い込んでいる。
そして父母やえらい人たちは
何ごとかを知っていると・・・
だが、私はあなたに言おう。
それは逆なのだ、全く逆なのだ
なんにも知らないのは父母なのだ。
偉い人たちなのだ。
すべてを知っているのは、子どもたちなのだ
なぜなら彼らは
手垢のつかない無邪気さを知っている
それはすべてを知っていることなのだ。
密教では、
手垢のつかない無邪気さを、
仏とか覚りと言います。


コメント