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現実を超越する

仏教と密教


寺田寅彦の『路傍の草』に書かれています。

三上さんじょう」という言葉がある。枕上ちんじょう  鞍上あんじょう  厠上しじょう 合わせて三上の意だという。
「いい考えを発酵させるに適した三つの環境」を対立させたものとも解釈される。
なかなかうまい事を言ったものだと思う。
しかしこれは昔のシナ人かよほど暇人でないと、
現代では言葉どおりには適用し難い。

布団のに寝て枕の上で、
乗り物に乗って車窓を見ながら、
そしてウンコをしながら。

で、ウンコをしながら考えた。
浮かぶのは『草枕』
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。。

ウンコを出す、
ということは重要なことです。

小学生がある時を境に、
以前と同じ身体のままで中学生になるように、
人はある時、そのままの身体で仏になる。
人間という現実を超えて仏になる。

これと似て非なるものがある。

人は何かを想像すると、
それが実際に目で見たものよりも、
はるかに強い現実感を持って記憶に残ることがある。

これは超越したことにはならない、ただの錯覚、妄想。

生き物はある事象が起こると、
それに適応しようとして身体が働く。
免疫、代謝、排毒などで現実を超越しようとする。
ウンコが出ないと、それができない。

人には5つの体質と食養があります。

・陰性の肥大  → 陽性な主食を多くする 脂肪を控える

・陰性の委縮  → 主食を多く、おかずを陽性にする

・陽性の肥大  → 旬の野菜をめちゃめちゃ多くする ゆっくり食べる

・陽性の委縮  → 陰性な主食にする 執着を無くし身体と心を柔らかくする

・中庸   → 普段通り

どれでも食事と生活を工夫して、
ものの思い方を練習すれば(まあ、忘れる、諦める)
改善すると考えています。

分かれ道に立った時、
右へ行くか左へ行くかはそれぞれの自由。
どちらでも構わない。

決めていれば迷わないし、
決まらない人はどちらにしようか迷う。

そういう時には切り札を持っているとよろしい。
陰陽という判断、科学というデータ、宗教的にどうかという判断などいろいろある。
占いやあみだくじもある。

振りかえって自己を見れば、
「我」(うぬぼれ、絶望)が強くある限り、
現実を超越することは難しく、
迷いの中に埋没してしまう。

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