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仏教と密教

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密教瞑想法私記6・広観

田中千秋先生は「一切の時に阿字をあげることが広観である。 日常生活と観行は、はなればなれであってはならない。 広観は、日常の観行化であり、観行の日常化である」と『菩提心論講話』に書かれています。 道場や仏前で拝むのは練習です。日常生...
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密教瞑想法私記5・字輪観

有相の行を捨てて、六大無相を観想します。空観であり、無分別観。 心月輪に五字を置く場合。 自身の五か所に五字を布す場合。 いづれにしても、自身内の五大と法界の五大は無二無別なので、自身即法界。一切衆生乃至...
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密教瞑想法私記4・正念誦

有相の口密念誦は法身の説法であり、説法は、他人を教化すること。ですから、真言の正しい発音と意味を知らなければ、説法になりません。 念珠を旋転することについて、Oṃ vajra guhya jāpa samaye hūṃ  ...
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密教瞑想法私記3・本尊加持

本尊とは『秘蔵記』41に、「我が本来自性清浄の心は世間・出世間に於いて最勝最尊なり、 故に本尊という 又已成の仏の本来自性清浄の理も、 世間・出世間に於いて最勝最尊なり。 故に本尊という」 道場や仏壇に安置する仏像仏画は、未熟の行者...
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密教瞑想法私記2・入我我入観

入我我入観は、有相の凡聖不二観、三平等観。『秘蔵記』22に、「先ず本尊を観じて壇上に安置せよ 次に吾が身は即ち印 語は即ち真言 心は即ち本尊なりと観ずべし 是の三密平等平等にして法界に遍ぜり 是を自の三平等と名づく 吾が三平等と本尊の三平...
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密教瞑想法私記1・呼吸法

空腹時、沐浴後、ゆったりと坐ります。舌先を上あごに軽くつけ、唇と歯は、上下合わせる。これによって睡魔と錯覚を避けます。 手は、法界定印、または弥陀定印。手のひらを上に向けることで、筋肉の無用な緊張がとれます。 呼吸の基本は、身...
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仏は智慧として現れる

迷っている人間でも仏性がある、というなら、じゃあ、どうしたらよいのだろうか。迷っている人間であるけれども、自分の細胞ひとつひとつの中に、自分を包む自然社会宇宙の中に、広大無辺な仏の慈悲と智慧があります。自身の生命や創造力、周囲の音色動きな...
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重要な思想・草木非情成仏の義

『秘蔵記』63に草木非情成仏の義が説かれます。「法身は微細の身にして五大所成なり。 虚空もまた五大所成なり 草木もまた五大所成なり 法身の微細の身は虚空乃至草木まで 一切処に遍ぜざることなし この虚空、この草木即ち法身なり 肉眼において麁...
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三昧耶戒に生きる 

密教の生き方といえば、三昧耶戒を保つこと、と考えています。 三昧耶戒真言は、oṃ samayas tvaṃオーン サマヤス トヴァン意味は、汝は三昧耶なり。三昧耶とは、もともとは時間のこと。そして、平等の意味があります。仏と自分は本...
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成仏を妨げるもの

朝起きて、今日は素晴らしい日にしよう、希望に満ちた一日に、と思っても、数時間後には、貪瞋痴疑慢邪見嫉妬で、暗いみじめな気持ちになっている。どうして、素晴らしい、希望の気持ちを維持できないのだろうか。 休暇に旅をして、美しい風景と、お...
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