昔のブログ

仏教と密教

仏教と密教

明るさが働き

一切の存在を否定してゆくと、最後に光り輝く根源的なものが現れます。 それが、自性清浄心迷う前の自心もともとある仏心、悟境。 それはどのようなものか。 悟り、仏、聖は、無分別智の世界です。 自分と自分以外、仏と自分、...
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山手線と悟り

外面的な悟りとは、心の発見と解放。 内面的な悟りは凡聖不二観と無分別観による光の印象 それらの発見、印象はいつも違い、無数にあります。 悟りも空ですから、 唯一常住不変なものではなく、いつも変化して、実体は...
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人生の後半を考えると

久しぶりに緊急地震速報があったので、 今朝は、車のガソリンを満タンにして、各種充電器とヘッドランプ交換電池確認。バケツに水を貯める。 ところで、 全ての存在には仏性ぶっしょう がある、仏としての本質、仏になるため...
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指先から宇宙へ

合掌すると心が落ち着きます。 片手の指は五本に分かれていますが、それぞれの指の根元に至れば一つの掌。 その掌は、腕、肩、首、反対側の肩、腕、掌、五本の指とつながっています。 一本の指先が、頭頂からつま先まで、つながってい...
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粉みたいな私

小麦粉やそば粉など、 粉をそのまま食べるのは難しい。 吹けば飛んでしまう。 なので、 水や湯でこねてまとめます。 さらに、 細く伸ばしたり、薄く広げたり、 それを茹でたり焼いたり揚げたりして食べる...
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発見という悟り

何かを続けると、何かを発見します。 心は自由で放し飼い状態。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。でも、目的を定めて、強く思えばそこへジャンプします。強く思えば、それを妨げるものから、自然と離れます。だから、だめだなあ、と思わないで、...
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心のほかに何もない

よくよく考えてみると心にあるものしか僕らは知らない。 見る聞く嗅ぐなどの刺激を感じ、それらを思い、計らい、知り分けています。 でも、感じたことだけ。感じていない、心内に無いことは知らない。 感じたこと(見る、聞くなど)が...
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曼殊沙華

サンスクリット語:mañjūsakaの音訳。 梵和辞典には、・天上の花の一種とあります。 日本ではヒガンバナ 根には毒がありますが、 漢方では石蒜せきさん という薬になります。 仏や如来の瞑想と悟りを...
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三密加持速疾顕

「三密加持すれば、速疾に顕はる」 と読みます。『即身成仏義』にある頌の一部分。 栂尾先生の訳では、 「仏と凡夫の三つの神秘のはたらきが たがいに力ぞえするがゆえに すみやかに かないごとを あらわす」 自分の身密お...
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ありのままの姿

身体に三昧耶戒をすり込めば法身ありのままのすがた になります。 三昧耶戒は・他を自己と思う慈悲心。大悲・道を求める向上心。大智・自心を観察し、そこに至る如実知自心。大定 のみっつを保つこと。 社会では様々なルール...
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