仏教と密教密教瞑想法私記6・広観 田中千秋先生は「一切の時に阿字をあげることが広観である。 日常生活と観行は、はなればなれであってはならない。 広観は、日常の観行化であり、観行の日常化である」と『菩提心論講話』に書かれています。 道場や仏前で拝むのは練習です。日常生... 2021.03.02仏教と密教
仏教と密教密教瞑想法私記5・字輪観 有相の行を捨てて、六大無相を観想します。空観であり、無分別観。 心月輪に五字を置く場合。 自身の五か所に五字を布す場合。 いづれにしても、自身内の五大と法界の五大は無二無別なので、自身即法界。一切衆生乃至... 2021.03.01仏教と密教
仏教と密教密教瞑想法私記4・正念誦 有相の口密念誦は法身の説法であり、説法は、他人を教化すること。ですから、真言の正しい発音と意味を知らなければ、説法になりません。 念珠を旋転することについて、Oṃ vajra guhya jāpa samaye hūṃ ... 2021.02.28仏教と密教
仏教と密教密教瞑想法私記3・本尊加持 本尊とは『秘蔵記』41に、「我が本来自性清浄の心は世間・出世間に於いて最勝最尊なり、 故に本尊という 又已成の仏の本来自性清浄の理も、 世間・出世間に於いて最勝最尊なり。 故に本尊という」 道場や仏壇に安置する仏像仏画は、未熟の行者... 2021.02.27仏教と密教
仏教と密教密教瞑想法私記2・入我我入観 入我我入観は、有相の凡聖不二観、三平等観。『秘蔵記』22に、「先ず本尊を観じて壇上に安置せよ 次に吾が身は即ち印 語は即ち真言 心は即ち本尊なりと観ずべし 是の三密平等平等にして法界に遍ぜり 是を自の三平等と名づく 吾が三平等と本尊の三平... 2021.02.26仏教と密教
仏教と密教密教瞑想法私記1・呼吸法 空腹時、沐浴後、ゆったりと坐ります。舌先を上あごに軽くつけ、唇と歯は、上下合わせる。これによって睡魔と錯覚を避けます。 手は、法界定印、または弥陀定印。手のひらを上に向けることで、筋肉の無用な緊張がとれます。 呼吸の基本は、身... 2021.02.25仏教と密教
仏教と密教仏は智慧として現れる 迷っている人間でも仏性がある、というなら、じゃあ、どうしたらよいのだろうか。迷っている人間であるけれども、自分の細胞ひとつひとつの中に、自分を包む自然社会宇宙の中に、広大無辺な仏の慈悲と智慧があります。自身の生命や創造力、周囲の音色動きな... 2021.02.24仏教と密教
仏教と密教重要な思想・草木非情成仏の義 『秘蔵記』63に草木非情成仏の義が説かれます。「法身は微細の身にして五大所成なり。 虚空もまた五大所成なり 草木もまた五大所成なり 法身の微細の身は虚空乃至草木まで 一切処に遍ぜざることなし この虚空、この草木即ち法身なり 肉眼において麁... 2021.02.23仏教と密教
仏教と密教三昧耶戒に生きる 密教の生き方といえば、三昧耶戒を保つこと、と考えています。 三昧耶戒真言は、oṃ samayas tvaṃオーン サマヤス トヴァン意味は、汝は三昧耶なり。三昧耶とは、もともとは時間のこと。そして、平等の意味があります。仏と自分は本... 2021.02.21仏教と密教
仏教と密教成仏を妨げるもの 朝起きて、今日は素晴らしい日にしよう、希望に満ちた一日に、と思っても、数時間後には、貪瞋痴疑慢邪見嫉妬で、暗いみじめな気持ちになっている。どうして、素晴らしい、希望の気持ちを維持できないのだろうか。 休暇に旅をして、美しい風景と、お... 2021.02.20仏教と密教