いくつか訳がありますが、
私がなじんでいるのは
「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」
『秘鍵』によれば羅什三蔵訳。
偉大なさとりの智慧の完成についての心髄すなわち呪句(真言)を説いた経典
(宮坂先生・『暮らしの中の仏教語小辞典』
心経の心はhṛdaya:心髄、中心、心臓、エッセンス、
それは真言。
いろいろ詰まっているところが、
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
菩提薩婆訶
『秘鍵』栂尾先生の訳では、
〈ギャテイ・ギャテイ〉と行き行きて
二乗の円寂 に至ることであり、
それぞれの自己のさとりに至り、
〈ギャテイ・ギャテイ〉と去り去りて、
大乗顕密の菩提 の原初に入ることである。
幼稚園、小学校、中学校、高校と進んで、
世の中へ入り、
自分を知る可能性がある。
そのあと、
「一所不在の三界の衆生は
あたかも客舎における客の如くである
しかもその衆生の具する一心こそ、
般若菩薩の本心にして本来の住まいである」
すべては心に映っているもの。
それをどう観るか、見えるか、体験するか。
そして、
真言は不思議である、
と説きます。
如来の自らの内証をす示真言こそ、
あらゆる思議を絶したものである。
至心にこれを観想し誦持せば
無明の煩悩を除くことができる。
なぜか。
自分の心の中以外にこの世はない、
心の中だけが唯一の居場所だから。
自他を区別するのが迷いだから。
ひとりで般若心経を唱えるとき、
ギャテイ・ギャテイの句だけ21遍唱えます。
時間があれば、
100遍でも1,000遍でもいい。
モノと心に、
自分以外と自分に、
本体が無いことを体験するまで。


コメント