『菩提心論』を読むと、
菩提心(悟りを求める心と、求められる悟りそのもの)の
本体は三摩地(こころを静かにまとめる瞑想行)
姿形は勝義(最勝の智慧を求める向上心)
働きは行願(慈悲)
と考えられます。
『立義文』によれば、
本体とは、
真如にして、平等で増減しないもの。
姿形は、
如来の蔵にして、無量の性功徳を具足するもの。
働きとは、
一切の聖俗の善の因果を生ずるもの。
この働きである行願は、
「誓って、われすべての衆生を救い度さんとの誓願を実行する心」
「われまさにあますところなき一切の有情界のあらゆるものを、
ことごとく利益し、安楽ならしむべし」
「十方いたるところに存在する一切のいきものを観ること、
なおし自己自身の如く」
ということ。
行願について『戒序』には、
法界無縁の一切衆生を自分自身とも四恩とも思うこと
またはそういう生きかた
とあります。
本来、人の心はとても大きい。
その中にすべての時間と空間がおさまっています。
その大きな心を忘れて、
自分だけの小さな個別心になっているのが日常です。
しかし、
個別心は仮の姿で、
宇宙全体、好き嫌いどちらでもない、知る知らない分からない、
を全部含むものが全体心とか一心。
それに基づいて生きるようにするのが、大悲の考えかたです。
大悲行願心は全体心の出生を促します。
具体的には、
信仰を植えつけ人の魂を高めること。
『戒序』には、
「抜苦与楽の本、源をたたんには如かじ。
源を絶つの首は法を授けんにはしかじ」
とあります。