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瞑想中に見えるもの、体験するもの

仏教と密教

朝朝もっぱら自心の宮を観ぜよ。
自心はただこれ三身の土なり
五智の荘厳本より豊かなり
と『性霊集』(喜雨歌)にあります。

自心中には仏が住し、
五智を具えている、
毎朝その心を観ぜよ、
ということ。

毎日20分、真言念誦や阿字観などの瞑想、
数息観と念誦の呼吸法などを続けて、
身体が拝むことに馴染んでくると、
何か、普段と違うものを見ることがあります。

光り輝く空間、宝石のように美しい景色、
何か抽象的な、意味がありそうなもの、
思いがけない人物・・・。

それらは全部錯覚、妄想です。

普段認識されない深層心理、無意識の領域から、
何かの縁で現れただけ。
そういうものが見えても、無視します。
ああ、何かあるなあ、と通り過ぎればよろしい。

目的地まで歩いている時、犬とネコを見かけた。
ただ、それだけ。
気にせず、目的地へ進むだけ。

眼耳鼻舌皮膚の五感と意識で感じるvisionは妄想です。
金剛頂蓮華部心念誦儀軌にあるように、
すべては心が作ったものであり、
迷い煩悩も、身体が感じるものも、幻と同じです。

五感を超越した、
楽しくもない辛くもない、何も感じない、
ただ寂静平安のimpressionを、三摩地と云います。

覚鑁さんの「夢相観」には、
唯明朗のみを見る 虚空の如し

『秘蔵宝鑰』には、
円明の浄識

『秘蔵記』には、
円明を観ずるこれ至極の義なり(66)

世界のすべては如来(真理)が顕現したもの、
という立場の『金剛頂経』では、
私自身は世界を身体としたものであり、
世界の一切のものがあるように、
私がある

などと表現されます。


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