普供養の真言は
修行するもろもろの功徳を諸仏菩薩に供養し、
広く有情を利益して自利と利他の行願を成就する
と『中印流の研究』にあります。
この真言がいい。
oṃ amogha-pūja-maṇi-padma-vajre tathāgata-vilokite samanta-prasara hūṃ
空しからぬ供養が、宝珠と蓮華と金剛との徳ある如来の観見において普く舒遍するように
オンは虚空庫菩薩。
金剛業菩薩と同体、一切は本来本不生、
主観客観を離れ平等、
私と、私のものは無いという姿で、
という姿で、
頭の上で両手を合掌してかわいい。
ウンは菩提心
悟りを求める心と、
求められる悟りそのもの。
『諸尊通用次第撮要』には、
オーン かならず成就する供養よ、宝珠と蓮華と金剛とに比べられる如来のごらんになれる御前において、あまねく満ちるものよ
『真言陀羅尼』は、
おお、如来のみそなわす効験あらたかな供養の金剛宝珠蓮華よ、あまねく十方に現れよ
円満せよ
とあります。
誰もが
勉強したり修行したり働いたり、
そうして得た功徳は、
あらゆるいのちの役に立ちます。