虚空蔵菩薩の真言には、
oṃ vajra ratna hūṃ
(オーン 金剛宝よ フーン)
namaḥ samantabuddhānāṃ ākāśasamanta-nugata vicitrāmbara dhara svāhā
(あまねき諸仏に帰命します。
虚空に同等なる者よ。色とりどりの衣を纏いし者よ。スヴァーハー)
そして、市販のお経本などに載っている虚空蔵求聞持の真言、
namo ākāśa-garbhāya oṃ alika māli muli svāhā
があります。
もともと真言は、サンスクリット語やパーリ語、
そこから漢訳したりローマナイズした真言を、
当時の人たちが実際にどのように発音していたかは分かりません。
しかし、
訳しかたが変れば、唱えかたが変わり、
ずいぶんと意味も変わります。
虚空蔵さんの求聞持の真言の場合
1、namo ākāśa-garbhāya oṃ alika māli muli svāhā
(帰命したてまつる。虚空蔵尊よ。オーン。怨敵を打ち滅ぼす者よ。スヴァーハー)
:weblio辞書
2、nama ākāśa-garbhāya oṃ alika māli muri svāhā
(虚空蔵尊に帰命したてまつる おお、怨敵を撃ち滅ぼす尊よ)
:『真言陀羅尼』(坂内龍雄)
3、namo ākāśa-garbhāya oṃ alika māli muli svāhā
(虚空蔵尊に帰命したてまつる オーン、怨敵を打ち滅ぼすものよ(取意) スヴァーハー)
:『梵字必携』(児玉義隆)
4、namo(帰命) ākāśa-garbhāya(虚空蔵) oṃ māli(華鬘) kamari(蓮華) mauli(冠) svāhā :『中院流の研究』(大山公淳)
5、南莫阿迦捨羯羅婆耶唵摩哩迦摩哩慕利莎囀賀
(虚空蔵尊に帰命したてまつる 唵 頭に蓮華の冠を戴ける尊よ、悟りを成就あらしめよ)
:『真言宗在家勤行講義』(坂田光全)
虚空蔵さんの儀軌や次第では、
金色の身体で、宝蓮華の上に坐り、
お顔は殊妙、穏やかな顔つきで、ほのかに微笑み
左手に慈悲と智慧の白蓮華を執り、
右の手には与所願の印、
と表現されています。
ですから、
1,2,3、の訳はどうかと思います。
4,5、は実際の修法、拝む時に適している、
と考えています。