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『念持真言理観啓白文』を読む 1

仏教と密教

『念持真言理観啓白文』は、
真言密教の実践的な部分である
真言陀羅尼を念持する際の観念、意義、功徳などが書かれています。

私訳『念持真言理観啓白文』
悟りを象徴する華に坐る大日如来、
金剛胎蔵両部界会の諸尊聖衆を帰命し頂礼します。
大慈大悲をもって壇場に降隣し、随喜護念して悉地を授与したまえ。

我が仏に入り、仏が我に入り、
互いに力添えするために、
宇宙の本体である、地水火風空識の六大がさわりなく、
常に溶け合い、あまたの仏と仏の分身は遍満しています。
そして、
六大をもってあらわす法界の体性(いのち)は
これをさまたげるものなく常に溶け合っています。

真如を悟り、
再び退転することなく必ず成仏できる境界と、
新月から満月に至るように、
円満にさわりなき境地を得ます。

法身の仏の動きを、
実の如くに悟れるものを大覚(ほとけ)といい、
これに迷えるものを衆生(ただびと)と名づけます。
その衆生はおろかにして、
自らこれを覚ることができないから、
如来(宇宙のすべて)が力添えして、
その落ち着くべき、本来の境地を示しています。

我が口より出る真言陀羅尼の一一の文字が、
金色の仏と成って宇宙全体に周遍し、
宇宙と同じになります。

それぞれ誓いをもって美しい音である真理の法を説き、
全てのいのちあるものに、
真如の本来不生不滅の世界を示して悟らせます。

諸仏は宇宙そのものであるから、
我が身はその中心にいるのであり、
自分も宇宙そのものであるから、
諸仏は我々の中におられます。

印を結んで諸仏に帰依することで、諸仏に護念され、
仏の秘密の行いが実現します。

仏の秘密である真言を讃誦することで、仏の説法教授を受け、
仏の秘密の言葉が実現します。

仏心を知覚し、自心を検知することで、仏が我が心に入り、
宇宙全体のいのちが蔵を開いて、我が心に悟入し、
仏の秘密の思いが実現します。

諸仏の万徳具足円満して、眷属囲繞すれば、
我もまた万徳具足円満して、眷属囲繞します。

一仏の功徳広大無辺なので、無数の如来の功徳は無辺です。

聖俗すべての教えは、
文字と言葉の法曼荼羅に摂し、
聖俗すべてのいのちあるものは、
優れたイメージの大曼荼羅に摂し、
聖俗すべての国土自然界は、
いのちのしるしである三摩耶曼荼羅に摂し、
聖俗すべての事業は、
行動の羯磨曼荼羅に摂します。

聖俗すべて、およそ口を開く音は「阿」であり、
聞かれる言音は「迦」などであり、

一切の文字の点画は「阿」字であり、
書かれる文字は「迦」等。

つまり、
真言を念じ保つことは、
本有自然真実不変常住の言音文字を味わうこと。

一切のいのちあるものは、六大であり、
一切の自然界は色形であり、
一切の事業は説法の動作です。

万物のあるところ必ず個体・液体・気体・力・拡がりのいのちあり、
それにはいずれも働きとしての声響があります。

地獄餓鬼畜生修羅人天声聞縁覚菩薩仏の十界の有情には、
働きとしての言語を持っています。
仏界のそれは真であり、
その他は妄。

心に認識するものと、
見る聞く嗅ぐ食べる触ることの性として、
意味を表す働きの文字がそこにあります。

それらを貫く性が仏の身体であり、
その働きをするものが真理です。

帰命頂礼 五智華台 大日如来 両部界会 諸尊聖衆
大慈大悲 降臨壇場 随喜護念 授与悉地 入我我入
能加持故 六大無礙 常瑜瑜伽 塵数眷属 無来而来
海滴分身 不摂而摂 現在証得 歓喜地故 後十六生
成正覚故 覚名諸仏 迷名衆生 衆生癡暗 無由自覚
如来加持 示其帰趣 我口輪出 陀羅尼門 一一文字
成金色仏 周遍法界 等同虚空 各以本誓 出随類音
演説正法 一切衆生 開示悟入 阿字門中 諸仏法界
我身在中 我身法界 諸仏在中 以我身業 入諸仏身
我帰諸仏 以諸仏身 入我身業 諸仏護念 以我口業
入仏口業 諸仏功徳 以仏口業 入我口業 説法教授
以我意業 入仏意業 我知仏心 及知自心 以仏意業
入我意業 開法界蔵 悟入我心 諸仏万徳 具足円満
眷属囲饒 我亦万徳 具足円満 眷属囲饒 一仏功徳
広大無量 無数如来 功徳無辺 世出世間 一切教法
摂法曼荼 世出世間 一切有情 摂大曼荼 世出世間
一切器界 摂平等壇 世出世間 一切事業 摂羯曼荼
世出世間 凡開口音 無非阿字 所有言音 無非迦等
内外一切 文字点画 無非阿字 所有文字 無非迦等
一切有情 無非六大 一切器界 無非顕形 一切事業
無非動作 五大有響 十界具言 六塵文字 法身実相

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