今年、
ザ・バンドのロビー・ロバートソンと、
イーグルスのランディ・マイズナーが亡くなりました。
青春の景色が蘇ります。
ザ・バンドはラストワルツ
イーグルスはならず者から、聴きました。
中学生の時、ビートルズを聴き始めました。
赤と青のアルバムを買って。
その後
ホワイトアルバクと、
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
を聖典のように扱いました。
音楽の授業でムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』を聴いた翌日、
同級生が、
これ、いいよ、
と貸してくれたのが、ELPの『展覧会の絵』
ナットロッカー(チャイコフスキーの「くるみ割り人形」)に心躍りました。
同じ友人から、
リック・ウエイクマンの『地底探検』を借りて、
勉強なんかそっちのけになりました。
洋楽のことならなんでも知っている同級生が、
何でもたくさん教えてくれました。
その中から気に入ったのが、
スティックス、カンサス、シカゴ、ボストン・・。
最も影響されたのがピンクフロイド
狂気『 The Dark Side Of The Moon』
炎『あなたがここにいてほしい 』
それから『ザ・ウォール』
大学生になり、
三畳一間の下宿で、毎日FENを聴いていました。
そこから知ったのが、
アラン・パーソンズ・プロジェクト。
仏教以前、僕の思想は、
ロジャー・ウォータースとアラン・パーソンズに支配されていました。
ピンク・フロイドの代々木体育館
ジェフ・ベック、サンタナ、スティーブ・ルカサーの軽井沢プリンスホテル
アンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウのNHKホール
(アランパーソンズもいた)
などは、
今でも大きな思い出。