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密教、仏教、精進料理、望診法の

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それが終わるとき

仏教と密教

大地のように、
心こそすべてのよりどころ

虚空のように、
心は無差別無限。

空間が無限、
意識が無限、
すると、そこには何もない。

心があるのでも、ないのでもない境地。

すべての土台だから、
すべてを覆いつくしているから、
すべてが理解できます。

無知という迷い煩悩に起因するわずらいはない。 

そして、

生命がある限り、
眼耳鼻舌身意を持つこの身体のわずらいは残る。

そこに最初の自分を見つける。

自分の心身、構成要素と

他のそれは同じ。

すべては真実の現れ。

自分と自分以外は同じものだけれど、
ぼろぼろの自分が残っている。

ボロボロの大日如来、
ありのままの
飾らない自分、
痛い苦しい悲しい自分。

大日如来と似ている、
そのものなのだけれど。

瞑想は考え出されたものなので、  

深い深層心理から生じたもので、
無常であり消滅します。

本体はない。

ただ今ありのままに、あることだけ
それが不生。

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