全ての存在、
一切の物には価値がある、
というのが大乗仏教の立場です。
諸法実相(全ては真実)とか、
悉有仏性(みな仏の性質がある)
と云います。
そのなかで、
密教の即身成仏(生きている間にブッダになる、悟る)は、
縁と条件によるものではなく、本来仏、
元々決まっている、という立場です。
この辺、空の理論と矛盾するような気もするけれど。
いずれにしても、
智慧と信がある場合に限り、
現象はただちに真理そのものになり、
凡夫は仏になります。
この場合の信は、
悟りと、それを得るための方法を信じること。
『十住心論』序に
「もしよく明かに密号名字を察し、深く荘厳秘蔵を開くときは、
すなわち地獄と天堂、仏性と闡提、煩悩と菩提、生死と涅槃、
邊邪と中正、 空と有、偏と円、二乗と一乗、
みなこれ自心仏の名字なり。
いづれをか捨ていづれをか取らん」
とあります。
地獄と極楽、仏と凡人、迷いと悟り、かたよった考えと正しい考え、
凡人はどちらかをとろうとするけれど、
仏はそれをこえており、
取るもの、捨てるものという区別がない。
聖者・仏・宇宙・法界は法然あるがまま
誰にでも平等にその力を与えます。
しかし、
こちら側の姿勢には、純不純がある、
そこが問題。