大金剛輪陀羅尼は、勤行、修法などで、よく唱えられます。
namah striya-dhvikānāṃ sarva tathāgatānaṃ āṃ viraji viraji mahā-cakra-vajri sata sata sarate sarate trayi trayi vidhamani sambhañjani tramati-siddhāgriya trāṃ svāhā
『中院流の研究』の訳では、
三世の諸の如来、それは塵垢を離れて大輪金剛を有するに等しく、
極めて堅固な性の救世者であり、
塵垢を払い除き破壊して三慧を成就し、
勝れた宝性の徳あるに帰命す
栂尾先生の訳では、
塵垢を離れて無限に平等性に住し、
堅固不壊なる大輪に住する救世の諸仏が、
無限の光を以って有限の垢を除き、
人をして勝上なる聞思修の三慧の成就に至らしめんことを
このなかにある三慧
聞慧、思慧、修慧のみっつ、
これによって悟る。
よく聞いて、
深く考えて、
実践して確かめる。
これ、中々できない。
特に最初の聞慧。
ちゃんと聞かないで、
自己流に判断してしまう。
大金剛輪陀羅尼は補欠分の真言といって、
僕らの念誦や所作は間違えが多いので、
誤りを正し、足りないところを補う、
とされています。
そして、
自心に曼陀羅(万物の姿)を建立する陀羅尼。
三慧とはそういうことなんだろうな、と考えています。