11年前に亡くなった父は、
あの世かどこかで、
〇〇さん、△△さん、□□さんたちと、
毎日マージャンして、大いに楽しんでいる、
と母が言う。
父はマージャンが強かったみたい。
今の日本では、
人が亡くなると、
火葬して気体になります。
大空へ還る。
残ったお骨はお墓に収まる、
大地へ還る。
散骨などもあります。
納骨しない、という選択もある。
思想信条上ではなく、
お墓が無いということもあるでしょうから。
本来それだけなのですが、
故人の肉体以外のことを考えます。
輪廻する、生まれ変わる、
と考えがあります。
何に生まれ変わるのかも、
いろいろあるみたい。
輪廻は迷いだから、
解脱すれば輪廻しない。
仏教は無我思想だから、
輪廻する主体が無い、
などいろいろあります。
あの世へ行く、
という考えかたもあります。
例えば中国風の冥土。
高島俊男さんの「冥福ってなあに?」(『お言葉ですが』別巻1)には、
冥福というのは中国から来た考えかたで、
あの世で十分に食べるものがある、
ということ。
むかしの支那人は、
人が死んだらあの世へ行くのだと信じていた。
これは特定の宗教の信仰ではなく、
民族全体の考えかたであり、風習である。
これは「孝」とかかわっている
とあります。
冥土は、
この世の人がそのまま行くみたいだけれど。
あの世で生まれ変わる、
と考える人もいるかな。
そうなると、自由自在。
お釈迦さまは、
死後の世界などについて、回答を避けました。
無記といいます。
例えば、
世界は常住か無常か。
世界は有限か無限か。
いのちと身体は同じか別か。
修行完成者は死後存在するのか、しないのか。
これらは考えてもわからない。
知る必要もない。
修行の役に立たず、
悟りにつながらない。
だから何も答えない。
そんなこと考えてないで、
さっさと修行に入りなさい、
という立場でしょうね。
死後の世界があるなら、
死んでそこに生きているということになります。
自我はあるの?
何があるの、無いの?
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