平成12年2月、
田中千秋先生(当時・和歌山県打田町薬師寺住職・元高野山大学名誉教授)
が亡くなって、僕はなんとも不思議な気持ちになりました。
わからないことを質問する人がいなくなった、それは困る。
それ以上に、
大切な人がいなくなった。
先生はいなくなりましたが、
先生からの書簡ハガキの束は私の宝物。
著作講演集論文も多いから、
わからないことがあれば、
先生に会いたくなれば、
それらを開きます。
目をつむれば
講義を教室の一番前で聞いていいたことを思い出す。
先生の口から出る言葉は珠玉のようでした。
僕は、
教室や先生の家に行けばそれにつつまれ、
あらゆる疑問が消えた、
しあわせな時間を味わっていました。
平成4年に亡くなった祖母は、
初孫のわたしを可愛がりました。
パチンコを教えてくれた。
「チンチン電車が走るのも、
郵便ポストが赤いのも、
電信柱が高いのも、
み~んな私が悪いのよ」
という4代目痴楽の歌も教えてくれた。
寝るより楽はなかりけり、
浮世の馬鹿は起きて働く
も教わったかな。
飾らないことが楽なことを教えてくれた。
今、生きている僕の脳内に、
先生と祖母の美しい思い出があります。
これがひとつの真実。
あの世があるのでも無いのでもない。
常住論でも断滅論でもない、
その真実に感謝反省して、
襟を正して、
慈悲をもって生きよう。
先生のようになりたい、
祖母のように思いたい、
なんてね。
こうして生きている自分が、
もうひとつの真実。
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