家族や社会生活を捨て、
自力で自分を救済するために、
厳しい修行をしなければブッダになれない。
という考えかたがあります。
ブッダは比較できない自由としあわせの人。
さらに、
修行は過酷で、
ブッダになるまでには、
何度も生まれ変わるくらいの時間がかかる。
それじゃあ、意味がないじゃないか。
修行はさわやかで心弾み、
空を飛ぶように、
海を泳ぐように、
自由に、広く、大きく、
月や星が照らし、
花が微笑み、
鳥が鳴き、
風が吹いて、
我を迎える。
迎える相手はみな仏。
仏(真実)のいのちのあらわれ。
重要なのは、
この身体で、
今生きているうちに
ブッダになる、
ブッダであることを思い出す。
修行の目的はブッダに回帰すること
修行方法は、
身体と言葉と思いを
ブッダのそれと相応させること。
台所では、
トントンという包丁とまな板の音が聞こえます。
修行はこれに似ている。
ただ切るだけ、
ただ拝むだけ。
それは喜びの中で、
さわやかな雰囲気の中で、
安楽と寂静の中で、
ただ、行う。
自分の楽しみのため。
他人を楽しませるため。