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動的な瞑想によって体得する

仏教と密教

大山公淳先生の先徳聞書集成に、

『理趣経』は、
金剛頂経の肝心、所説の法門は金剛薩埵、五秘密瑜伽の内証、
大日如来の五智証得の甚深の法門なり。
大師は文をわすれて義をとれと

とあります。

『理趣経開題』(弟子帰命)に、
タイトルの『大楽金剛不空真実三摩耶経』にある三摩耶とは、
「これは等持という、平等摂持を義とす。即ち入我我入に名を得」
とあり、
三摩耶は瞑想修行の境地である三摩地、三昧、禅定のことであり、
特に入我我入
と書かれています。

入我我入(にゅうががにゅう)は、
仏が我に入り、我が仏に入ることで、
その時、
仏も我も一人ではなく、関連するすべてを引き連れて、互いに渉入します。
行い、言葉、想いのみっつが、ともに相応します。
煙が大空に溶け込むように、
コーヒーとミルクが混ざるように、
ふたつであって、ふたつでない状態。
静的な坐禅瞑想ではなく、かなり動的な観法です。

また、
『理趣経開題』(生死之河)には、
 人の一生につきまとうのは恩愛である。
 恩とは父母の恩であり、愛とは妻子などの愛。
 でも、その恩愛が苦しみにもなる。
 『理趣経』には、
 大日如来の智慧が説かれ、
 その智慧によって生きることが悟りである。
 そこに至れば、
 恩愛はすべてへの感謝と慈しみになり、
 全ての存在と行いは清浄となる。
 よく考え、勉強し、その智慧を得れば、
 真実の生が発揮され、生きている間に、大日如来を体得することになる。

というようなこと書かれています。(だいぶ端折りました)

大日如来の智慧を得る方法、大日如来を体得する方法が、
三摩耶(入我我入)です。

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