仲良くすればいいのになあ、
と思うことが、世界でも身近でもあります。
オレはこうした、
なのにオマエは、
というような自我があるからでしょうね。
自他ともに助からない。
自分の菩提(さとり)を求め、
同時に、他者を救済する、
というのが菩薩の理想です。
そんなことはできない、
先ずは自分の人格を完成させること、
自分の悟りが優先であり、
そうでなければ他者を救うことなんてできない、
という立場もあります。
ちなみに、唯識以後の大乗仏教では、
私への執着と、
私のもの(体)への執着を
同時に滅すれば、自利利他を達成できると考えています。
しかしながら、
全てのいのちあるものは、本来仏なのだから、
誰もが本来無限の心徳をもっているのだから、
今すぐに、一切衆生を利益し安楽しようとするのは当たり前、
と田中先生は『菩提心論講話』に書いています。
『三昧耶戒序』には、
悟りを求める者は、
大悲(思いやりと優しさ、生きる意味)
勝義(最勝の智慧を求める向上心、存在とは何か)
三摩地(上ふたつを身にしみこませる瞑想行、自由な心)
を戒として忘れてはいけない、とあり、
「大悲心とはまた行願心となづく。
いわく、外道二乗はこの心を起さず」
と書かれています。
もっと自分が向上してから、というような言い訳をしないほうがいい。
そうでなければ大乗の仏教徒ではない。