心には多くのレベルがあります。パターンといったほうが良いだろうか。
仁義礼智信など、倫理道徳を大切にする心があります。
人に情けをかけ、正しさを求め、他者を敬い、自分をわきまえ、偽りを言わない。
仏教には、
現実に生滅(はじめと終わり)があることと、
生滅があるということは自性がないから不生不滅(はじめも終わりも無い)
という有(あること)と空(ないこと)を同時に見ることが宇宙の姿、
だから執着しない、差別しない、という心があります。
縄を見て蛇と思うような、
実体のないものを「有る」と執着する心、
縄は麻やビニールなどによって作られている、
つまり、他の縁によって「仮に有る」と考える心、
縄の本性が麻やビニールであるように、
そのものの「真実」を見る心があり、
このみっつは互いにからみあっています。
優しさと思いやり、他を喜び、自己を滅す
という無量の心や、
施しと、優しい言葉と、善行と、助け合いを実践しようとする心もあります。
地獄餓鬼畜生修羅人天の六道のうち、
最初のみっつを三悪趣と云います。
常に怒りを持ち、耐え忍ぶことが無い地獄趣、
無知による愚かさのため、戒めを保たない畜生趣、
そして、
貪りの心ばかりで、
施しや優しさの無いのが餓鬼趣。
心は連続しているので、
道徳的な心、仏教的な心、地獄、餓鬼、畜生の心などが、
常に入れ替わり発生しては消えてゆきます。
25日10時より立石寺施餓鬼法要を行います。