昔のブログ

密教、仏教、精進料理、望診法の

動画はこちら

成仏を考える

仏教と密教

『大日経』の正式名称は
『大毘盧遮那成仏神変加持経』
サンスクリット名は、
Mahāvairocana-abhisaṃbodhi-vikurvita-adhiṣṭhāna-vaipulyasūtra-indrarāja nāma dharmaparyāya

abhisaṃbodhiが成仏にあたりますが、
音訳で成三菩提、
意味は、
現等覚(あるがままにみる完全なさとり)
何も学ぶものが無い状態。

『密教経典』(講談社学術文庫)で
宮坂先生は、
「大毘盧遮那如来が成仏さとりを得て、
 さまざまな姿をとって現われ、
 不可思議な力のはたらきを加えたもうことを説いた経典」

と訳しています。

「成仏」について、
「大日経疏」の頁では、

「成仏とは覚者の意、
 現等覚を得たものをさす。
 これは正しい覚り、
 正しい知(正覚・正知)の意味である。
 ありのままに認識する智慧で、
 過去未来現在の
 生きとし生けるものたちと、
 国土・自然界と、
 すべての存在するものの真実のすがたと
 生滅変化する現象界などの、
 すべてのものを認識するのに、
 皆、極めて明らかに覚り知るから、
 覚りと名づける。
 しかも仏とは覚れる者のことである。
 だから、省略した分についていえば、
 ただ「成仏」ということになるのである。

とあります。

仏教は修行して成仏するのが目的。

でも、
本当は、すでに仏。
仏として生きている。

小さな私が仏になるのではなく
大きな仏がすでに完成している。

完成の成。

いのちがあることを体験する、
そんな感じ。

それは、
しあわせであること、
みんなもそうであること。

OFUSEで応援を送る

コメント

タイトルとURLをコピーしました