なんでもそう思うからそうなるので、
そう思わなければ、ならない。
そこが難しいところです。
僕らは、聖が俗を着て暮らしています。
本来の姿は、まあ忘れる。
水に波が生まれるように、
いろいろな思いが生じては消えます。
水はそのまま、ずっとある。
『金剛頂経』に、
自心の源底を覚知する、
『大日経』に、
実の如く自心を知る
とあるのが生きる目的です。
慈悲行によって、
または、
真言念誦よって、
向かいます。
自心にはすべてがあります。
好きも嫌いも、どちらでもないも。
だから、そこは曼荼羅。
曼荼羅諸尊が自心の源底かな。
その諸尊が、
つまり自分の行いによって、
世界は曼荼羅になります。
声も曼荼羅。
その愚痴も。