朝起きて、
今日は素晴らしい日にしよう、
希望に満ちた一日に、
と思っても、
数時間後には、
貪瞋痴疑慢邪見嫉妬で、
暗いみじめな気持ちになっている。
どうして、
素晴らしい、希望の気持ちを維持できないのだろうか。
休暇に旅をして、
美しい風景と、
おいしい料理と
素敵な人間関係に触れ、
感動して帰宅する。
でも、
翌日からの日常では、
怒り貪り愚痴嫉妬ばかり。
どうして、
旅先の感動を維持できないのだろうか。
旅の素晴らしい体験が完全で、
日常性が不完全なわけではないのに。
日常生活の裏側にも豊かな真実があり、
それに気がつくかどうか、
が、凡人か達人かの違いかもしれない。
密教は、
自分は自分が考えているよりも、もっと大きい、
という立場です。
それまでの自分の歴史が自分ではなく、
仏性とか如来蔵とか、
大きな可能性をもっています。
もっと大きく、
ずっと強い、
そう認識できれば、
普通の日常生活で成仏が可能でしょう。
人生はつまらないものだ、
と決めつける感情が、
成仏(悟り)の最大の障害です。
そして、
つねに知性が感情より優位になるように、
気をつけます。
誤解、錯覚、妄想を避けるために。