「一心の性は仏と異なることなし。
我心、仏心、衆生心の三差別なし。
この心に住すればすなわちこれ仏道を修す」
(『御遺誡』)
「三心平等なりと知るを大覚と名づく」
(『性霊集』)
仏(宇宙)と自分とすべてのいのちが
平等である、
この当たり前のことを、
知り身につけば、菩提であるという。
三心がひとつになって一心。
大日経には、
菩提とは自心を知ること
とありますが、
『秘蔵記』には、
「わが一心法界の中に毘盧遮那乃至四仏四波羅蜜、十仏刹微塵数の如来宛然としています。
煩悩の雲霧のために覆弊せられて明了に見ることを得ず」
自他を差別している、平等でない、
だから、見えないのだと。
心は本来大きく無限なのだから、
心配することはありません。
自分で作った仕切りを低くして
はずせば、解放されます。
『秘鍵』には
「三界は客舎の如し、一心はこれ本居なり」
栂尾先生の訳では、
「一所不在の三界の人々は、
あたかも宿屋の客の如くである。
しかもその衆生の具する一心こそ、
般若菩薩の本心にして本来の住居である」
自分と大地、空気、水、植物、動物、
呼吸や食事を通して、
生きていることが宇宙につながています。
そう考えます。
何か問題があっても、
つながっているものが見えないだけで、
ちょっと探せば解決します。
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