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さとりを求める心の出生

仏教と密教

『大日経』住心品15に、
「百六十の心を越えて広大なる功徳を生じる。
 その本性は常に堅固である、
 かのさとりが現れることを知るがよい。
 量りしれないことは大空のようである、
 大空のように汚染することなく永遠である。
 さまざまな存在するところのものも、
 これを動かすことはできない。
 もともと本来静まっていて、
 かたちなきものである。
 量りしれない智慧が完成して、
 正しく完全なさとりが現れる。
 供養の行為を修行して、
 これによって初めてさとりを求める心が発現する」

『大日経疏』13に、
「現象は内に本体が成立すれば、
 必ず現象は外に現れるものだ」

『菩提心論』求道の例示に、
「あたかも人が名誉ある官職を貪り欲するとせば、
 まずその名誉ある官職を志求する心をおこし、
 その名誉ある官職をすべおさめするに足るつとめを修めねばならぬ。
 また人が財宝を貪り欲するとせば、
 まず財宝を志求する心を起こし、
 その財宝をいとなみするに足るつとめをなさねばならぬ如くに、
 すべて善にもせよ、悪にもせよ、
 人がこれをなさんと欲せば、先ずこれをなさんとする志をかかげ示し、
 しかして後、その志を成し遂げるつとめをなさねばならんのである。
 いまこの菩提さとりを求むるにあたりても、
 まずその菩提を志求する心をおこし、
 ついで、その菩提を達成しうべきつとめを修めねばならないのである」

百六十の煩悩を越えるトレーニングによって、
浄菩提心きよらかなさとりのこころが現れます。

『金剛頂経』に、
 
自心を観察する集中で
誦しさえすればそのことが成就するはずの真言
oṃ citta prativedhaṁ karomi
を好きなだけ唱えることで、
自心の源底に通達する、
と説かれます。

これは、
上記大日経で説かれる、
悟りとは、
実の如く自心を知ること。

その心は、
瞬間の印象ですが、
大空に満ちており、
長い智慧と慈悲の修行をしても、
真言を好きなだけ唱えるだけでも、
まず、思うところから始まります。

自他同時にしあわせになることが。

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