長年使ったバッグを処分するとき、
拝んで発遣します。
発遣は、
仏菩薩など、
修法を終えた尊格を、
曼荼羅世界へお送りすること。
僕らが拝むのは、
仏さまを賓客として迎え、
おもてなしをして、
いろいろ教えてもらい、
心満ちれば、帰りいただく作法。
仏さまはどこへ来るのか。
目の前の仏像か。
自心か。
自心なら仏を迎えるよう荘厳します。
清らかにして。
お送りするときの真言は、
oṃ vajra mokṣa muḥ
『中印流の研究に』には、
自心中の尊が心内の本宮に還りたもう
自心の覚の心花をもって、解脱涅槃の地に置く
mokṣaは解脱。
モニエル辞典では、
emancipation
liberation (解放)
家庭の仏壇仏像などを処分する前に拝むのも、
発遣とか、魂抜き
なんていう。
解脱の地へ帰ること。
拝む人も解脱しよう。
自分と自分のものから。
そう考えてみよう。
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