なぜ、それがあるのか。
の答えはいろいろありますが、
仏が私たちのために、
もの、声、香り、味、触・すべてのいのち
を使って真理を説きます。
私たちは、それを、
見て、聞いて、嗅いで、味わって、触れて、思って、
受け取る。
例えば耳。
音が聞こえる。
あれは何の音か。
波の音。
鳥の声、電車の音。
シーンとしている。
何か聞こえる。
それが無くなるのか、それになるのか。
それすべて説法。
集中すればそれになります。
つまり、
全ては仏が真理を説くためにある。
私たちがそれを受け取るためにある。
私たちの目耳鼻舌皮膚感覚も。
そう考えると、ありがたい。
現実世界の奥に、
真実の世界があり、
それぞれ相応反映している、
互いに鏡のように。
清らかな精神構造なら、
この境地へ行ける、
と考えていましたが、
単なる妄想世界かな、
とも感じています。
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