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空と身体

仏教と密教

よくよく考えてみると、
すべては空である。
実体、本体はない、
関係性においてのみ存在する。

右があるから左がある、
みたいに。

これが右、
と決まったものはない。

プラスでもマイナスでもない0

燃えている炎のごとく
流れる川のごとく。

まあ、いいか。

『空論』(正木晃著)に
『小空経』が書かれています。

心を向ける対象は、

大地の観念
空間が無限である境地(空無辺処)
意識が無限である境地(識無辺処)
なにもない境地(無所有処)
観念があるのでもないのでもない境地(非想非非想処)
特徴を超えた精神集中(無想心三昧)

特徴を超えた精神集中は形成されたものであり、
考え出されたものである。

なんであれ、形成され、考え出されたものは、無常であり、消滅する定めにある。
と知る。
このように知り、このように理解していると、
感覚的欲望という煩悩から心が解脱する。
生存欲という煩悩からも心が解脱する。
無知という煩悩からも心が解脱する。
解脱したとき、
解脱したという智がおこる。

(さらなる)誕生は滅ぼし尽くした。
禁欲修行は全うした。なすべきことは果たした。
(煩悩のない)この状態にいたるために、これ以上(すべきこと)はない」
と知る。

「感覚的欲望という煩悩に起因するような煩いはここにはない。
 生存欲という煩悩に起因するような煩いはここにはない。
 無知という煩悩に起因する煩いはここにはない。
 ただ次の煩いだけがある。
 すなわち、生命のあるかぎり六つの感覚器官をもつこの身体に起因するものである」
と知る。

自身は空である、
そんなことはない、
現実にあるじゃないか、
そういうレベルもあるかな。

そして、
それに意味はあるのか。

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