大日如来は宇宙の別名と考えています。
宇宙の中に私があり、
私の中に宇宙がある。
そんな感じ。
私は無我、
大日という大我。
『吽字義』には、
「大日如来のみいまして、無我の中において大我を得たまえるなり」
ただ大日如来のみいまして、
はからいの小我を超えた無我のなかにおいて、
本当の我を身につけられる(栂尾先生訳)
大日如来も僕らも、
同じ縁起で、
同じ元素で作られている、
という感覚かな。
木村泰賢博士の『生命と欲望と仏教の解脱論』には、
絶対我 真如 法身 仏心は同じことで、
自我は、
生命が自らを意識した当体、
とあります。
自分と自分以外は交流しています。
ミルクがコーヒーに溶けるように。
呼吸真言が口から身体へ、
身体から心へ、
心から口を循環して、
空間がいっぱいになるように。
行いと言葉と思いを、
大日如来と同じにする。
上記には、
身体を呼吸に収め、
呼吸を精神に収め、
精神を真我に集中して、
絶対我に融合する。
とあります。
OFUSEで応援を送る
コメント