皿洗い、球拾い、ひたすら書き取りや計算問題、
そこが一段落すると、
なぜ、そういうことをしているのかを、
理論的に学べるようになります。
親が子を育てるのをはじめ、
人は慈悲の中で生きています。
生きる=慈悲
です。
なので、
人生とは慈悲の修行道場、
そこで、優しさと思いやりの行為の集積によって、
いつか、悟ります。
様々なトレーニングによって、
真実を探し、それを邪魔するものを取り除く作業を積み重ね、
あるレベルに達することができます。
しかし、
自己の心をよくよく観察して、
そこになにがあるのかが分かれば、
トレーニングの集積は不要で、
一気に目的地に到達します。
これを瑜伽(ヨーガ)と云います。
密教には、この考えかたがあります。
真実(自心とは何か)を知れば、
すぐに到達します。
自心のイメージが事実になります。
心を透徹して、明らかにする、
その時、
主体と客体
自分と宇宙
本来の悟りと、悟りの存在性
それらを同時に体験します。
菩提心を発す、
という行為です。