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すべてに真実を観る

仏教と密教

布団の中、
車や電車の中、
お風呂トイレの中、
どこでもいつでも、
oṃ   a   svāhā
オーム ア スヴァーハー
(おん あ そわか)
を唱えています。
阿(a)は大日如来のこと。

密教は、
すべては真如から顕現している、
という立場で、
阿字、大日、法界(宇宙)、虚空、我、自性清浄心、真如は同じことです。

真言念誦や瞑想は、仏作仏業ですから
唱えているときは大日如来。

すべての音声は阿字(大日、真実)の声
すべての形体は阿字の姿
意識思考は本不生の阿字の心の発動。

中井先生の『大師の阿字観』には、
「弘法大師の阿字觀には略觀と廣觀との二方面がある。
 謂ふ所の略觀とは専ら自心の實相を内觀し
 眞我を自覺することを目的とする阿字觀であつて、
 この略観は心の寂静なる時に行ふべきものとせられてゐるから、
 定心門の阿字觀或は静中の阿字觀とも幕すべきものであう」

「廣觀とは廣く天地萬物の永遠の實相を觀照することを要旨とする阿字觀であつて、
 この廣觀は心の散亂せる時に行ふべきものとせられてゐるから、
 散心門の阿字觀
 或は動中の阿字觀とも呼ぷべきものである。」

そして、
「阿字の略觀は、
 上述の如き意義丙容を有するものであるが、
 坐禪觀法としてこれを實修する場合には
 專ら阿字もしくは蓮月の形色のみを
 如法に歴然と觀じて
 其の包含する理義は思惟しないことになつてゐるのであつて、
 そこに象徴的直觀的體驗を主とする秘密禪の妙趣があり
 且つ易修易行の秘觀としての特徴がある」

「阿字の廣觀は宇宙の森羅萬象を
 すべて永遠無窮の阿字の活き物と觀じ、
 天地法界の一切を擧げて
 一體不二の大日如來と競ずるのである。
 而して法界の萬物をすべて一體不二の大日法身と觀するとき、
 十方無邊の世界は淨土穢土おしなべて
 大日如來の本然常住の國土と成り
 所謂自性法界宮と成るのである。
 見聞覺知のあらゆる現象に對して
 行住坐臥を問はす随時随處に行ふべき常修常行の阿字觀である」

とあります。

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