仏教の基本思想に、
アビダルマと唯識があります。
前者は、
存在の分析、私とは何か、宇宙とは、心とは・・・。
後者は、
認識の超越、何かを感覚刺激ではなく、
超えた印象。
そこから生まれて消える。
そして、いろいろな立場があります。
この世の仕組みは、
お釈迦さまが発見した、十二縁起。
老死という苦しみの原因を無明に求める。
(世間の)人々は、執着に歓喜し、執着を愛し、執着を好ましく思っている。
そのような執着に歓喜し、執着を愛し、執着を好ましく思っている人にとって、
此縁性、縁起の法という理論は受け入れがたいものである。
(『聖求経』)
わが作るところにも非ず、
また余人の作るところにも非ず。
如来(釈迦)の世に出ずるも出てざるも法界常住なり。
如来(釈迦)は、
この法を自ら覚し、等正覚を成じ、
諸の衆生のために分別し演説し開発顕示するのみなり
世界は、自然の法則の因縁生起の原理で、
原因と条件と結果の3つで成り立ち、
僕らはそれを識知しただけ。
私たちの言動が原因となって、
結果が生まれる。
すべては空で本体は無く、
ナニカとの関係性であるから、
生まれて無くなる。
だから空。
思うから生まれて無くなる。
世界は心の中にあるものが、
縁によって現れたもの。
世界は、そのまま真実の現れ。
世界は地水火風空識の六大から生まれたもの。
自分の中の六大と、
自分以外は六大は同じ性質。
赤ちゃんがいると、
その場がパット明るくなる。
結婚式で幸せそうな二人を見て、
全員が幸せになる。
覚った人がもしいるならば、
六大が相応して、
皆、覚る。
世界は思い通りになってしまうことを、
よく考えなければならない。
私がそれを作っている。

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