ひとはみな違います。
顔、手足、体質、性格、得意分野、
同じ人は、おそらくいない。
でも、
本性は同一。
例えば、みな仏性がある、みな本来仏。
これは、仏教徒でなくても、仏教に関心が無くても、
山川草木みな同じ。
心はどうでしょうか。
自分の心、と思っているものは、
自分の身体の中か、自分の手の届く範囲というか、
その周辺にあると感じるかもしれません。
そういう自分の心は、
貪り怒り無知疑い慢心邪見を生みます。
それは、
他と仕切りがあるから。
その、それぞれの個別心を合わせたもの、
仏性とか如来蔵と云われる、
本来の清浄な心。
これは誰にでもある仏心ですから、
個別の心ではない、全体心。
身体は自然界の一部だけれど、
心は大きい。
宇宙法界を包んで、包まれて、
互いに代行し、兼務しています。
宇宙法界は仏ですから、
仏の行い、仏の言葉、仏の想いで、
暮らせば、個別心が全体心になるかな。