『十住心論』に、
「もしよく明かに密号名字を察し、
深く荘厳秘蔵を開くときは、
すなわち地獄と天堂、仏性と闡提、煩悩と菩提、生死と涅槃、
辺邪と中正、空と有、偏と円、二乗と一乗、
みなこれ自心仏の名字なり。いづれをか捨ていづれをか取らん」
とあります。
見かた、心のありようが違うだけで、
自心の中にすべてがある。
ふたつに分別しないことが空。
見える全ては如来のシンボル、
聞こえる音は真言、
それを感じる自心は本尊。
そういうレベルの心になり、
全ては自己と思う、
自心の無限を知る、
歩きながら寝ながら、いつでも真言を唱え、
心を統一する。
その時
仏性は自心の中にあるのではなく、
自心=仏性=法身と考えられます。