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真如と解脱

仏教と密教

万物の本体は阿字であり本不生である、
という立場があります。

阿字は原初、根源、
「あ」から音は始まり、
すべての音に「あ」が含まれているから。

これは、法界、真性とも云います。
宇宙とか無限とも訳せます。

さらには、
自分自身がどうあるか、
ということ。

すでに仏として完成している、
ということ。

いちばん前、または最初に置く、
元々の自然な状態

とも云えます。

そういうことを知るのが仏教の智慧です。
存在とは何か、
ですね。
これは直観による、とされています。

心は現象です。
私達の執着と表現が生んだもの。
真如も同じでしょう。

迷いもなく悟りも無い、
もともとあるがままのもの、
それが仏であり、私、という立場です。

おそらく、
時間と空間の束縛が無ければ、
解脱と云うことになるでしょう。

『法句経』348に、
過ぎしをすて
来らんをもすて
現在をも棄つべし
これ存在まよい
彼岸にいたれるなり
一切処すべてのところに
思い解脱すれば
生と老とを
ふたたび受けざるべし

とあります。

真如は真実の果てであり、
解脱によって、それも無くなるはずです。

解脱はその無差別無分別無染無着ゆえに、
他を救います。

忘れる
想像しない
そして、区別が無くなる状態かな。

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