心=自分=仏=悟り=迷いなど、
同じものにいろいろな言葉があります。
ママ、お母さん、かあちゃん、みたいに。
ママは現実にいますが、
心は無い。
自分と自分以外
心とモノ
主観と客観
自分以外は現存している事実ですが
自分(心、主観)は脳が作っている妄想です。
作ったものですから真実ではなく
生じては滅します。
同じものは何もない
流れるように変化している
始めがあれば終わりがある
すべては変化する
これが現実世界の真実です。
この世界の向こうに、
真実界があると想像するのは自由です。
生滅を繰り返して、
自分や心が継続しているような錯覚になります。
しかし、
自分、心、仏は実体が無いから汚れない、
清浄で、
不生不滅である、
と想像できます。
自分以外は自分を、
ものは心を表現するためにあります。
心は智慧と慈悲を根本にしています。
存在を分析すると、
実体のない空を体験します。
認識は超越します。
よくよく観察してみましょう。
僕らは言葉や認識ですべてに囲いを作ります。
そうしないと、分かりにくいから。
その囲いは本来は無いものですから、
真実世界では、
ひとつであり、
つながっています。
無差別無分別無染無着、
根本になるのは生命。
すべては陰陽のバランスで存在しています。
求心力と遠心力のバンランス。
これが壊れると、
固く小さくぎゅっと動かないか、
拡がって破裂します。
この陰陽は、
無限から生じて変化しています。
本来は不生不滅の無限ですから、
すべては
生じない、
のだけれど。
こういうことは正しいかもしれない、
しかし
それを知る私は正しくない。