昔のブログ

密教、仏教、精進料理、望診法の

動画はこちら

心は実相である

仏教と密教

実相は真実の姿。

『大日経疏』に

「菩提心は無相すがたなきである
 大空の如く」

とあります。
(『密教経典』講談社学術文庫)

菩提心は悟りを求める心、
求められる悟りそのもの。

心は目や耳で確認することはできませんが、
一切を含んでいることは確かです。
何でも、思えますから。
思うことで生活します。

そして、

「心は内になく外になくおよび中間になく」

「如来の正覚さとりは青にあらず、黄にあらず、赤にあらず、白にあらず、短にあらず、円にあらず、
 方にあらず、明にあらず、暗にあらず、男にあらず、女にあらず、不男女にあらず、という。

 ここに如来の正覚というは心を指す」

その他いろいろ、これでもあれでもないのですが、

「もし心が可見可現のものであるならば有相すがたありとなる。

 およそ有相のものは皆虚妄である。

 虚空は一切の相を離れて畢寛浄である」

真実=悟り=心=虚空=清浄

心は働きだけで、姿がないものです。

脳の働きにすぎませんが、

太陽の暖かさ、明るさのようなもの。

空の広さのようなもの.

それは実相、真実。

OFUSEで応援を送る

タイトルとURLをコピーしました