実相は真実の姿。
『大日経疏』に
「菩提心は無相である
大空の如く」
とあります。
(『密教経典』講談社学術文庫)
菩提心は悟りを求める心、
求められる悟りそのもの。
心は目や耳で確認することはできませんが、
一切を含んでいることは確かです。
何でも、思えますから。
思うことで生活します。
そして、
「心は内になく外になくおよび中間になく」
「如来の正覚は青にあらず、黄にあらず、赤にあらず、白にあらず、短にあらず、円にあらず、
方にあらず、明にあらず、暗にあらず、男にあらず、女にあらず、不男女にあらず、という。
ここに如来の正覚というは心を指す」
その他いろいろ、これでもあれでもないのですが、
「もし心が可見可現のものであるならば有相となる。
およそ有相のものは皆虚妄である。
虚空は一切の相を離れて畢寛浄である」
真実=悟り=心=虚空=清浄
心は働きだけで、姿がないものです。
脳の働きにすぎませんが、
太陽の暖かさ、明るさのようなもの。
空の広さのようなもの.
それは実相、真実。
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